東京高等裁判所 平成11年(行ケ)47号 判決 2000年5月23日
原告
イナ・ヴェルツラーガー・シェッフラー・コマンディートゲゼルシャフト
代表者
【A】
同
【B】
訴訟代理人弁護士
鈴木修
同
大平茂
同弁理士
【C】
被告
バンドー化学株式会社
代表者代表取締役
【D】
訴訟代理人弁理士
【E】
同
【F】
同
【G】
同
【H】
同
【I】
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告
特許庁が平成9年審判第11814号事件について平成10年10月2日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文1、2項と同旨
第2当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
被告は、発明の名称を「エンジン用補機のベルト伝動装置」とする特許第2106602号発明(昭和60年3月29日特許出願、平成8年11月6日設定登録、以下「本件発明」といい、その特許を「本件特許」という。)の特許権者である。
原告は、平成9年7月15日、本件発明に係る特許の無効の審判を請求し、特許庁は、同請求を平成9年審判第11814号事件として審理した結果、平成10年10月2日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本を同月26日、原告に送達した。なお、出訴期間として90日が付加された。
2 本件発明の特許請求の範囲
エンジンのクランク軸を駆動軸とし、従動軸に、大きな回転慣性を有する発電機を備え、上記駆動軸及び従動軸にそれぞれプーリを設け、該両プーリ間に伝動ベルトを巻掛けて、角速度の微小変動を伴う上記クランク軸の回転駆動力を伝動ベルトを介して従動軸に伝達して上記発電機を回転させるようにしたエンジン用補機のベルト伝動装置であって、
上記駆動軸及び従動軸のいずれか一方のプーリは、クランク軸の角速度微小変動増加時には上記クランク軸から伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を接続する一方、クランク軸の角速度微小変動減少時には上記発電機の回転慣性トルクが伝動ベルトを介してクランク軸に動力循環しないように上記クランク軸からの伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を遮断する一方向クラッチを介して回転軸上に取り付けられていることを特徴とするエンジン用補機のベルト伝動装置。
3 審決の理由
別紙審決書の理由の写しのとおり(ただし、10頁6行目の「甲第2号証」は「甲第1号証」の誤記と認める。)、原告が、本件発明は、(イ)特開昭56-101353号公報(審決の甲第1号証、本訴の甲第3号証、以下「引用例1」といい、これに記載された原告主張に係る発明を「引用発明1」という。)と同一であるか、仮にそうでないとしても引用発明1に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである(主張(イ))、(ロ)引用発明1並びに実願昭57-74876号(実開昭58-179866号)のマイクロフィルム(審決の甲第2号証、本訴の甲第4号証、以下「引用例2」といい、これに記載された原告主張に係る発明を「引用発明2」という。)及び実願昭55-88763号(実開昭57-17256号)のマイクロフィルム(審決の甲第3号証、本訴の甲第5号証、以下「引用例3」といい、これに記載された原告主張に係る発明を「引用発明3」という。)各記載の発明から容易に発明をすることができたものである(主張(ロ))、と主張した(ただし、原告は、本件発明が引用例2に従来例として記載されているベルト駆動のものに、引用例2に記載のクラッチを用いることによって当業者が容易に発明できたものであるという主張はしていない。)のに対して、原告の主張はいずれも理由がないと認定判断した。
第3原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由1ないし5は認める。同6は、11頁13行の冒頭から、15行から16行にかけての「課題とするものであって、」まで及び12頁14行から19行までを認め、その余は争う。同7は争う。
審決は、本件発明及び引用発明1の技術内容を誤認した結果主張(イ)についての判断を誤り(取消事由1)、引用例2、3に本件発明の技術的課題が開示されていることを看過した結果主張(ロ)についての判断を誤り(取消事由2)、上記誤りがその結論に影響を及ぼしたものであるから、違法であって、取り消されるべきである。
1 取消事由1(主張(イ)についての判断の誤り)
(1) 審決は、本件発明について「角速度微小変動に反応する一方向クラッチ(以下「高感度クラッチ」という。)を用いることによって」(11頁8行ないし10行)として、本件発明は一方向クラッチの中から、特に「角速度微小変動に対応する」高感度なクラッチを選択したものと認定したが、誤りである。本件発明は、一般的な一方向クラッチを使用したものにすぎない。
(2) 本件発明の特許請求の範囲の「クランク軸の角速度微小変動減少時には上記発電機の回転慣性トルクが伝動ベルトを介してクランク軸に動力循環しないように上記クランク軸からの伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を遮断する一方向クラッチ」という記載は、特定の一方向クラッチを選択したものと理解すべきではなく、単に一方向クラッチを使用する目的を記載したものにすぎない。
また、本件発明に係る明細書(以下「本件明細書」という。)には、一方向クラッチについて、「これに対し、本発明では、一方向クラッチにより、・・・クランク軸の角速度微小変動減少時には発電機の回転慣性トルクが伝動ベルトを介してクランク軸に動力循環しないように上記クランク軸からの伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を遮断するようにしたので」(甲2号証4欄34行ないし40行)との記載があるのみであり、何ら特定の一方向クラッチを選択すべきことは記載されていない。
本件発明の特許請求の範囲の「上記発電機の回転慣性トルクが・・・動力循環しないように・・・回転伝達経路を遮断する一方向クラッチ」との記載は、本件特許出願時の明細書(以下「本件当初明細書」という。)には記載されておらず、出願後の補正により挿入されたものである。しかも、本件当初明細書では、一貫して従来技術の問題点はベルトとプーリとのスリップにあると説明されているが、ベルトがプーリに対してスリップすれば動力循環などという問題は生じない。このように、本件特許出願時に完成されていた発明は、動力循環を遮断する構成などということは全く考慮されていなかったのであるにもかかわらず、上記補正が、要旨変更とされずに許されたのは、この記載が単に駆動軸と従動軸との間に一方向クラッチを挿入すれば当然生じる現象をそのまま記載したにすぎないからである。したがって、上記記載は、一方向クラッチの通常の作用を説明しているものであって、被告が主張するように、目的を達成するための構成に欠くことができない事項を記載したものと理解する余地はない。
(3) 審決の前記認定は、一方向クラッチに「高感度」なものと「低感度」なものという異なった種類が存在するという前提に立つものであるが、以下のとおり、この前提は誤りである。
イ 【J】作成の鑑定書(以下「甲第6号証鑑定書」という。)は、本件特許出願前から市場で販売されていた一般的な一方向クラッチである東洋ベアリング製HF3520を使用して実験した鑑定書である。この実験によれば、上記東洋ベアリング製HF3520は、本件発明にいう「クランク軸の角速度微小変動」に追随するものであることが明らかである。
ロ 被告主張に係る株式会社椿本チエイン(以下「椿本チエイン」という。)のカタログに記載されているインデキシングに用いられる一方向クラッチは、そこに示される頻度についての複数の使用範囲(300回/分以上、300回/分以下、150回/分以下)のいずれの範囲においても、その頻度の範囲の限界においてクラッチの正常な断続の作用を発揮している。したがって、これらが、その限界を超えると急にその断続の作用が失われるとは考えられないから、これらの範囲を表す数値と本件発明に関連して用いられた「高感度」、「低感度」との関連性はない。
また、インデキシングクラッチは、入力軸の揺動運動と出力軸の間欠運動を扱う機構に用いるもので、このような機構への使用は、当該機構の構成部材の慣性の問題から、元々大きな頻度で用いることのない特殊な用途である。したがって、このような特別な用途に用いるクラッチに複数の種類があるという事実は、本件発明及び引用各発明のような機関の動力伝達に使用し連続的に回転する態様で用いる一方向クラッチの特性の議論とは関係がない。
(4) 一般に当業者は、一方向クラッチといえば、十分クランク軸の微小な角速度の変動に反応するものを考えるものである。
すなわち、実願昭58-48968号(実開昭59-155346号)のマイクロフィルム(以下「甲第7号証刊行物」という。)には、クランク軸とプーリを一方向クラッチを介して結合することによりねじり振動を減衰するに当たり、単に一方向クラッチを用いると記載されているのみであって、微小な角速度の変動に反応する一方向クラッチを特に選択して使用することは記載されていない。
また、引用例2においても、何ら特別なクラッチを必要とする旨の記載はなく、単に「ワンウエイ クラッチ」を用いることによって、当然エンジン爆発による微小角速度変動作用するものが意図されているのである。
(5) したがって、本件発明は、引用発明1と同一か、又は引用発明1から容易に発明することができたものである。
2 取消事由2(主張(ロ)についての判断の誤り)
(1) 審決は、引用例2に高感度クラッチが記載されていると認めながら、引用発明1にも、引用発明3にも、高感度クラッチを用いる必然性も、動機付けもないから、本件発明は、引用発明1ないし3から容易に発明できたものとすることはできないと認定判断したが、誤りである。
(2) 引用例2には、「前記オルタネータの駆動系では、ディーゼルエンジンの急加減速及び捩り振動による緩衝がVベルト駆動の場合は、ベルトのすべりにより吸収されるが、歯車駆動の場合には、充分に吸収されなくて、回転軸(b)の捩り応力が疲労限界を越えるという問題を生じていた。」(甲第4号証2頁2行ないし7行)との記載がある。この記載は、捩り振動による緩衝の問題を指摘するものであり、ベルトについては、問題点としてはとりあげられていないものの、「すべり」が生じることが明確に記載されている。そして、このすべりの問題は、引用例3においては、「前記プーリ5とベルトとのすべりによる摩擦エネルギーとなってしまい」(甲第5号証2頁14行ないし15行)と記載されている。プーリとベルトがすべることにより摩擦エネルギーとなるということは、熱の発生によるベルトの変形及び音の発生という問題点を容易に想起させるものである。
以上のとおり、引用例2、3には、エンジンのクランク軸の角速度の微小な変動により、プーリとベルトがすべることによるベルトの変形及び音の発生という本件発明と同一の技術的課題が実質的に開示されている。したがって、一方向クラッチを持ち、ベルトにより動力を伝達する形式の引用発明1に、引用例2、3の開示する技術的課題から、引用発明2の高感度一方向クラッチを組み合わせることは、当業者にとって容易なものというべきである。
(3) したがって、本件発明は、引用発明1ないし3から容易に発明することができたものである。
第4被告の反論の要点
1 取消事由1(主張(イ)についての判断の誤り)について
(1) 本件発明は、一般的な一方向クラッチではなく、「角速度微小変動に対応する一方向クラッチ」という特別なものを使用した発明である。
(2) 本件発明の特許請求の範囲に記載されたとおり、本件発明の一方向クラッチは、クランク軸の角速度微小変動増加時と角速度微小変動減少時とで異なる挙動をとるのであるから、これは「角速度微小変動に反応する一方向クラッチ」と解すべきである。
本件発明において一方向クラッチを使用する目的は、「角速度の微小変動を伴うエンジンのクランク軸の回転駆動力を、大きな回転慣性を有する発電機を備えた従動軸に伝達する場合において、クランク軸の角速度微小変動に起因する動力循環をなくすことにより、伝動ベルトが常時負担する必要トルクを大幅に軽減」(甲第2号証3欄34行ないし39行)するという課題を解決するためであることは明白である。すなわち、本件発明の特許請求の範囲の「クランク軸の角速度微小変動増加時には上記クランク軸から伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を接続する一方、クランク軸の角速度微小変動減少時には上記発電機の回転慣性トルクが伝動ベルトを介してクランク軸に動力循環しないように上記クランク軸からの伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を遮断する一方向クラッチ」は、そのような目的を達成するための構成に欠くことができない事項を記載したものであって、原告の主張するような「目的」を記載したものではない。
また、本件明細書には、「エンジンは爆発行程時のみに駆動エネルギを生じ、他の行程では駆動力を発生しないため、その駆動軸としてのクランク軸にはその回転中、常に角速度の微小変動がある。」(甲第2号証2欄11行ないし14行)、「1/60秒など、極めて短いサイクル毎にみれば、クランク軸の角速度は周期的に微小変動している。」(同4欄18行ないし19行)との記載があり、これらの記載から、本件発明が問題とする角速度微小変動の内容は明白である。そして、本件明細書は、特許請求の範囲において、一方向クラッチがそのような角速度微小変動の増減に反応するものであることを特定し、発明の詳細な説明の欄において、一方向クラッチがそのような角速度微小変動の増減に反応するものであることを説明しているのであるから、本件明細書には特定の一方向クラッチを選択することが記載されているのである。
(2) 一方向クラッチには、「高感度」と「低感度」の区別がある。
イ 本件特許出願前から現在に至るまで一般産業用クラッチのリーディングメーカーである椿本チエインのカタログには、カムクラッチ(一方向クラッチ)は、インデキシングの用途において、頻度300回/分以上の高速用、頻度300回/分以下の中速用、及び頻度150回/分以下の低速用に区別されている。上記「頻度」は感度に相当するから、一方向クラッチには、「高感度」と「低感度」の区別があるのである。
ロ 甲第6号証鑑定書は、ドイツ連邦共和国で現在市販されているフリーホイルの性能に関するものであり、その実験に供されたフリーホイルが本件特許出願前からNTN社に納入されているフリーホイルと同一であることの立証又は同一の性能を有することの立証がない。したがって、甲第6号証鑑定書は、本件特許出願時における日本の当業者の技術常識を示すものではない。
(3) 仮に甲第7号証刊行物記載の一方向クラッチが角速度微小変動に反応する一方向クラッチであるとしても、そのことは、当業者が、一方向クラッチといえば一般に十分クランク軸の微小な角速度の変動に反応するものを考えることの証拠にはならない。すなわち、角速度の大きな変動を問題にするときには、角速度の大きな変動にしか反応しない一方向クラッチ(通常は、角速度の微小変動にも反応する一方向クラッチよりも安価である。)の使用を考えるのが当業者の技術常識である。
また、引用例2記載の発明は、回転軸の捩り応力を軽減することを目的とするものであるから、その一方向クラッチは回転軸の捩り応力を軽減するに足る応答性を有するものであるにすぎず、原告の「当業者にとって、一方向クラッチといえば一般に十分クランク軸の微小な角速度の変動に反応するものを考える」との主張には結びつかない。
2 取消事由2(主張(ロ)についての判断の誤り)について
引用発明1には、高感度クラッチを用いる必然性も、動機付けも見当たらないし、他に引用発明2のクラッチを引用発明1に用いるための動機付けも見当たらない。また、引用発明3は、引用発明1と同様の目的を達成するために一方向クラッチを設けたものであるから、引用発明1と同様であって、高感度クラッチを用いる必然性はなく、それをする動機付けも見当たらない。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(主張(イ)についての判断の誤り)について
(1) 本件発明の特許請求の範囲の記載について
イ 本件発明の特許請求の範囲に記載された「上記駆動軸及び従動軸のいずれか一方のプーリは、クランク軸の角速度微小変動増加時には上記クランク軸から伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を接続する一方、クランク軸の角速度微小変動減少時には上記発電機の回転慣性トルクが伝動ベルトを介してクランク軸に動力循環しないように上記クランク軸からの伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を遮断する一方向クラッチ」の技術的意義は、特許請求の範囲からは一義的に明確ではない。そこで、本件明細書の発明の詳細な説明の欄を参酌することとする。
まず、「クランク軸の角速度微小変動」の技術的意義について検討する。
甲第2号証(本件公告公報)によれば、本件明細書には、「エンジンを駆動源とし、その回転駆動力をエンジン用補機に伝動ベルトにより伝達する場合、上記エンジンは爆発行程時のみに駆動エネルギを生じ、他の行程では駆動力を発生しないため、その駆動軸としてのクランク軸にはその回転中、常に角速度の微小変動がある。」(2欄10行ないし14行)、「本発明の作用について説明する。通常、エンジンの回転駆動力は、回転中、既述の如くガソリンエンジンでは最大1.5~2.0度、ディーゼルエンジンでは最大6~8度の角速度微小変動が生じており、従って第2図に示すように定常運転時、低速回転時と言えども1/60秒など、極めて短いサイクル毎にみれば、クランク軸の角速度は周期的に微小変動している。」(4欄13行ないし19行)との記載があることが認められ、上記記載によれば、前記「角速度微小変動」は、エンジンが爆発行程時のみに駆動エネルギーを生じ、他の行程では駆動力を生じないことに伴い、クランク軸の角速度が、約60分の1秒以下の周期で微小変動することを指すものと認められる。
そして、甲第2号証によれば、本件明細書の発明の詳細な説明の欄には、「本発明は・・・角速度の微小変動を伴うエンジンのクランク軸の回転駆動力を、大きな回転慣性を有する発電機を備えた従動軸に伝達する場合において、クランク軸の角速度微小変動に起因する動力循環をなくすことにより、伝動ベルトが常時負担する必要トルクを大幅に軽減して、ベルトの早期破損やベルトのすべりによる異音の発生を防止し、ベルトの耐用寿命を著しく長期化させ、発電機に対するベルト伝動を実現することを目的とするものである。」(3欄34行ないし42行)との記載があることが認められ、上記記載によれば、本件発明の特許請求の範囲の前記記載は、約60秒の1秒以下の周期で、すなわち毎秒60回以上繰り返されるクランク軸の角速度の微小変動に対応して、クランク軸から伝動ベルトを介しての回転伝達経路を、接続・遮断を繰り返す一方向クラッチを指すものと認められる。
ロ 原告は、上記「上記駆動軸及び従動軸のいずれか一方のプーリは、クランク軸の角速度微小変動増加時には上記クランク軸から伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を接続する一方、クランク軸の角速度微小変動減少時には上記発電機の回転慣性トルクが伝動ベルトを介してクランク軸に動力循環しないように上記クランク軸からの伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を遮断する一方向クラッチ」との記載は、単に一方向クラッチを使用する目的を記載したもにすぎないと主張する。しかし、一方向クラッチが約60秒の1秒以下の周期で繰り返されるクランク軸の角速度の微小変動に対応できなければ、上記本件明細書の発明の詳細な説明の欄に記載された本件発明の目的は達成できないから、上記特許請求の範囲の記載は、単に一方向クラッチを使用する目的を記載したものではなく、目的を達成するための構成に欠くことができない事項を記載したものと解すべきである。原告の主張は、採用することができない。
ハ また、原告は、本件発明の特許請求の範囲の「上記発電機の回転慣性トルクが・・・動力循環しないように・・・回転伝達経路を遮断する一方向クラッチ」との記載は、本件当初明細書には記載されておらず、しかも、本件当初明細書では、一貫して従来技術の問題点はベルトとプーリとのスリップにあると説明されているから、本件特許出願時に完成されていた発明は、動力循環を遮断する構成ではなかったとして、特許請求の範囲の上記記載は、一方向クラッチの通常の作用を説明しているものにすぎないと主張する。
甲第2号証によれば、本件発明にいう動力循環とは、「クランク軸から発電機ロータに伝達した動力がクランク軸に戻ってくることであり、伝動ベルトでみると、ベルトの張り側と緩み側との逆転状態になることである」(3欄20行ないし23行)ものと認められる。そして、甲第8号証(本件当初明細書)によれば、本件当初明細書には、「従来のベルト伝動装置であれば従動軸の回転慣性力が大きいと、第1図の範囲Aの角速度増加より第1図の範囲Bの角速度低下方向へ変化したとき、従動軸がこの変化Bに追随しきれず、一点鎖性(判決注・線の誤記と認める。)で示すような角速度変化となる。従って、このときの角速度の差Δdがスリップとなる。」(6頁4行ないし10行)、「そこで、本発明においては・・・第2図に示すように、範囲Aの角速度増加時のみ駆動力を伝達し、範囲Bでは、従動軸のみの回転を鎖線で示すように許容し、」(6頁11行ないし18行)として第1、第2図が示されていることが認められる。そして、上記第1図では、クランク軸が減速状態、すなわち範囲Bになっても、直ちにスリップが生じるわけではなく、しばらくの間は従動軸もクランク軸の減速に引きずられて減速していることが図示されているから、スリップが生じるまでの間は、クランク軸から発電機ロータに伝達した動力がクランク軸に戻り、ベルトの張り側と緩み側との逆転状態になるという動力循環が生じていることが認められる。のみならず、上記第1図では、スリップが生じた後も、すべり摩擦力分の動力がクランク軸に戻ることが明らかであるから、その後にも動力循環が生じているというべきである。一方、上記第2図では、クランク軸が減速状態になっても、従動軸はクランク軸の減速に引きずられて減速することはないことが図示されているから、動力循環は遮断されているものと認められる。
したがって、本件当初明細書には、一方向クラッチによって動力循環を遮断する構成が記載されていたというべきであるから、原告の主張は、採用することができない。
(2) 一方向クラッチにおける「高感度」と「低感度」の区別の有無について
イ 乙第3号証(「つばきモールス カムクラッチ」椿本チエイン昭和59年2月1日発行、以下「乙第3号証刊行物」という。)、乙第1号証(「椿本チエイン 1989総合カタログ」椿本チエイン平成元年ころ発行、以下「乙第1号証刊行物」という。)及び弁論の全趣旨によれば、いずれも本件特許出願前において、一方向クラッチであるカムクラッチには、高頻度のかみ合いと空転、すなわち動力伝達経路の接続・遮断を繰り返す使用法であるインデキシングという用途があったこと、一般産業用クラッチの大手メーカーである椿本チエインでは、インデキシングに適したカムクラッチとして、MZ、PB、200、LD、MI、MX、MI-S、PO、PG、PSという各名称のシリーズの商品を販売していたこと、そのうち、MXシリーズの商品は、最高インデキシング頻度が毎分1200回の能力があり高速(頻度毎分300回以上)・送り角度小の用途に最も適し、中低速(頻度毎分300回以下)、送り角度小の用途にも適するというものであったが、他のシリーズの商品は、200シリーズの商品は最高インデキシング頻度が毎分150回の能力、LDシリーズの商品は最高インデキシング頻度が毎分100回の能力であるなど、いずれも中低速、送り角度小の用途に最も適するか又は適するが、高速・送り角度小の用途には適さないとされていたことが認められる。
そうすると、当業者は、本件発明の特許請求の範囲の「上記駆動軸及び従動軸のいずれか一方のプーリは、クランク軸の角速度微小変動増加時には上記クランク軸から伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を接続する一方、クランク軸の角速度微小変動減少時には上記発電機の回転慣性トルクが伝動ベルトを介してクランク軸に動力循環しないように上記クランク軸からの伝動ベルトを介しての従動軸への回転伝達経路を遮断する一方向クラッチ」について、毎秒約60回以上、すなわち毎分約3600回以上の頻度で接続・遮断を繰り返すものであるから、上記MZ、PB、200、LD、MI、MI-S、PO、PG、PSの各シリーズのような高速のインデキシングには適さない一方向クラッチではなく、上記MXシリーズ以上の最高インデキシング頻度の能力を有する一方向クラッチであると認識するものと認められる。したがって、本件発明は、一般的な一方向クラッチではなく、毎分約3600回以上の角速度微小変動に対応する一方向クラッチを使用しているものというべきである。
審決が、本件発明について、「角速度微小変動に対応する一方向クラッチ(以下「高感度クラッチ」という。)を用いることによって、エンジン運転中の角速度微小変動減少時に駆動力の伝達を遮断するという構成を有するものである。」(11頁8行ないし12行)とした認定判断は、上記の意味において相当である。
ロ 原告は、前記椿本チエインの販売していた一方向クラッチは、毎分300回以下等というカタログに示されるインデキシング頻度の限界を超えると、急にその断続の作用が失われるとは考えられないから、これらの範囲を表す数値と本件発明に関連して用いられた「高感度」、「低感度」との関連性はないと主張する。しかし、毎分300回以上のインデキシングに適さないとされている一方向クラッチが、その十倍以上である毎分3600回以上の接続・遮断の機能を発揮するとは認められないから、原告の主張は、採用することができない。
また、原告は、インデキシングクラッチは、元々大きな頻度で用いることのない特殊な用途であるから、このような特別な用途に用いるクラッチに複数の種類があるという事実は、本件発明及び引用各発明のような、機関の動力伝達に使用し連続的に回転する態様で用いる一方向クラッチの特性の議論とは関係がないと主張する。しかし、カムクラッチが一方向クラッチである以上、インデキシングに用いられる場合であろうと、本件発明のような機関の動力伝達に用いられる場合であろうと、動力伝達経路の接続・遮断を繰り返す能力ないし感度が変わるものではないから、インデキシング頻度の能力ないし感度は、本件発明及び引用各発明に用いられる一方向クラッチの能力ないし感度を示すものというべきである。原告の主張は、採用することができない。
ハ 甲第6号証(甲第6号証鑑定書)によれば、一方向クラッチである東洋ベアリング製HF3520は、本件発明にいうクランク軸の角速度微小変動に追随することができるものであることが認められるけれども、上記東洋ベアリング製HF3520が、高速のインデキシングに適さないものとされていたと認めるに足りる証拠はないから、上記事実は、前記認定を左右するに足りるものではない。
(3) 引用発明1の一方向クラッチについて
イ 甲第3号証(引用例1)によれば、引用発明1は、車両のエンジンの減速時に発電機の回転慣性エネルギーを発電作用に利用することを技術的課題としていることが認められ、車両のエンジンの加速・減速が毎分約3600回以上もの頻度で行われるとは考えられないから、当業者は、引用発明1に用いられる一方向クラッチは、高速のインデキシングに適するものである必要はなく、中低速のインデキシングに適するもので十分であると認識するものと解される。
ロ 原告は、甲第7号証刊行物及び引用例2の記載を根拠として、一般に当業者は、一方向クラッチといえば、十分クランク軸の微小な角速度の変動に反応するものを考える旨主張する。しかし、本件特許出願時には、本件発明の特許請求の範囲にいう「微小角速度変動」、すなわち、毎分約3600回以上の角速度微小変動に対応する一方向クラッチと、これに対応できない一方向クラッチが存在していたこと、及び当業者は、引用発明1に用いられる一方向クラッチについて、毎分約3600回以上の高速のインデキシングに適するものである必要はなく、毎分約300回以下の中低速のインデキシングに適するもので十分であると認識するものと解されることは前示のとおりであるから、甲第7号証刊行物及び引用例2の記載とはかかわりなく、当業者が、引用発明1に本件発明の特許請求の範囲にいう「微小角速度変動」、すなわち、毎分約3600回以上の角速度微小変動に対応する一方向クラッチを用いるべきものと認識したとは認められない。
(4) 以上の事実によれば、本件発明は、引用発明1と同一とは認められないし、また、引用発明1から当業者が容易に発明をすることができたとすることもできないとした審決の認定判断に誤りはないというべきである。
2 取消事由2(主張(ロ)についての判断の誤り)について
(1) 甲第4号証(引用例2)によれば、引用例2には、「ディーゼルエンジンの回転をオルタネータ駆動歯車を介してオルタネータに伝えるオルタネータの駆動系において、・・・ワンウエイクラッチを設けたことを特徴とする緩衝装置」(1頁5行ないし9行)、「オルタネータの駆動系では、ディーゼルエンジンの急加減速及び捩り振動による緩衝がVベルト駆動の場合は、ベルトのすべりにより吸収されるが歯車駆動の場合には、十分に吸収されなくて、回転軸(b)の捩り応力が疲労限界を越えるという問題が生じていた。」(2頁2行ないし7行)、「第1図に示したオルタネータの駆動系の場合、エンジンからオルタネータ駆動歯車(6)への伝達トルクの波形は、エンジンの爆発行程に応じ第3図中(A)のような両振巾の波形になり、特に捩り振動の共振点付近では、回転軸(2)の捩り応力が疲労限界を越える」(3頁下から4行ないし5頁2行)として、エンジンの爆発行程に応じた捩り振動、すなわち角速度微小変動がオルタネータ駆動歯車に悪影響を与えるが、Vベルト駆動の場合にはそのような問題はない旨の記載はあるものの、引用発明2のワンウエイクラッチ、すなわち角速度微小変動に対応する一方向クラッチをベルト駆動に使用することについては、記載も示唆もないものと認められる。
(2) 甲第5号証(引用例3)によれば、引用例3には、「従来の自動車用エンジンの発電機にあっては、・・・エンジン加速時に高速回転となった発電機のロータコイル1やロータコア3のもつ回転エネルギーは有効に利用されず、この回転エネルギーの大部分は前記プーリ5とベルトとのすべりによる摩擦エネルギーとなってしまい回収できないという問題点があった。」(2頁7行ないし16行)、「エンジンの加速時には、エンジン回転数に比例した回転数でロータコア3、ロータコイル1の回転数は上昇し発電を行うが、減速時やギアチェンジのようにエンジン回転が下がった場合でもスリーブ8に取り付けられているロータコア3、ロータコイル1は一方向クラッチ9の作用によりそのまゝ回転しつづけ、自身の持っている回転エネルギーを発電によって再利用可能な電気エネルギーに変換することができる。」(4頁14行ないし5頁3行)として、高速回転となった発電機の回転エネルギーが、エンジンの減速時やギアチェンジによってエンジン回転数が下がった場合に、プーリとベルトとのすべりによる摩擦エネルギーとなってしまい回収できないという問題点がある旨の記載はあるものの、エンジンの爆発行程に応じた角速度微小変動が問題であることについても、角速度微小変動に対応する一方向クラッチをベルト駆動に使用することについても、記載も示唆もないものと認められる。
(3) 原告は、引用例2には、エンジンの捩り振動によってベルトのすべりが生じることが記載され、このすべりの問題が、引用例3において、プーリとベルトがすべることにより摩擦エネルギーとなると記載されており、これは、熱の発生によるベルトの変形及び音の発生という問題点を容易に想起させるものであると主張する。
しかし、前記(1)、(2)の事実によれば、引用例2の記載は、エンジンの爆発行程に応じた角速度微小変動の場面で発生するベルトのすべりについて、捩り応力を問題としているのに対して、引用例3の記載は、エンジンの減速時やギアチェンジによってエンジン回転数が下がった場面で発生するベルトのすべりについて、そのすべりの発生によるエネルギーの損失を問題としているものであって、両者は、異なる場面において異なる程度、頻度で発生するすべりについて、異なる問題を指摘しているというべきものである。したがって、引用例3のベルトのすべりによる摩擦エネルギーの損失についての記載は、これとは異なる場面において、異なる程度、頻度で発生する引用例2に記載されたエンジンの爆発行程に応じた角速度微小変動の場面でのベルトのすべりについて、引用例3に記載もされていない熱の発生によるベルトの変形及び音の発生という問題点を容易に想起させるものということはできない。原告の主張は、採用することができない。
(4) 以上の事実によれば、本件発明は、引用発明3ないし5から当業者が容易に発明することができたとすることができないとした審決の認定判断に誤りはないというべきである。
3 以上のとおりであるから、原告主張の取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
第6よって、本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担並びに上告及び上告受理の申立てのための付加期間の付与について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条、96条2項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)